わたしは昔から人の反応や自分がやってみて頑張ったことの結果を気にしてしまうところがあります。
頑張ったことが形になってほしいし、自分が誰かの役に立っているとわかるとうれしいです。
結果が伴わないと、やっている途中で不安になってしまうし、何のためにやっているんだろう?と思ってしまうところがありました。
それで「待つこと」や「時間のかかること」が苦手だなと感じています。
でもここ数年わたしがやっていることは、「コンポスト」や「植物を育てること」、「子育て」、「味噌作りなどの手仕事」。
共通することは「自分だけの力じゃどうにもならない」ということです。
わたしが使っているキエーロというコンポストは土の中の微生物が生ゴミを分解してくれます。
でもそれだけじゃなくて、太陽の光がよく当たることも大切で、風通しの良いところに置くことも大切です。微生物、太陽の光、風の力を借ります。
微生物も好きな食べ物と苦手な食べ物があるから、土の中に埋める生ゴミも少し考えて入れます。
キエーロの中に入れて暫くしたら微生物が分解してくれて、いつの間にか忘れたことに生ゴミが消えています。
植物を育てることはやってみるとうまくいくこともあるし、全然うまく育たないこともあります。
育てる環境だったり、種だったりで変わってきますし、水の加減とかでも変わります。
子育ても1人では育てられない。いろいろな人の力も借ります。そして環境などでも変わってくるけど、生まれながらの気質があったりもします。こうなってほしいなという願いとは別に子どもの意思と行動で変わってきたり、急に成長を見せてくれることがあります。
味噌は大豆を煮て潰して、塩と麹や常在菌の力を借りて、数ヶ月すると出来上がります。
全部「自分以外の何かの力を借りて、取りあえずやってみて、暫く忘れて放っておく」という共通点があるなと気づきました。
そして、「不安になったり結果を気にしてやることではないな」と思いました。
とりあえず全部共通して「やってみて、何かの力を借りて、後は任せて、(執着せずに)放っておく」ことなのかなと思いました。
子育ては子どもが心配なので不安になったりもしますが。
でも「自分の力だけではどうにでもならないことだ」とわかっているのとそうでないのとは違うなと思います。
そして「やってみて、何かの力を借りて、後は任せて、(執着せずに)放っておく」の「やってみて」というのは少なからずも自分でどうにかしようとやってみるということで自分が頑張るところですが、
後の「何かの力を借りて、後は任せて、放っておく」というのは「信頼する」ということなのかなと思いました。
子どもの成長に関しては「子どもの力を信じる」ということだし、「任せて放っておく」はどんと構えておくことが必要です。
わたしの苦手とする「待つこと」と「時間がかかること」でもあります。
でもその経験を通して、思いもよらない喜びや偶然の出会いがあったりします。
だからコンポストをすること、植物を育てること、子育てをすることでそんな喜びや出会いがあるなと思っています。
待つことは「自分以外の何かの力を信じて任せること」なんだなと最近気づいてしみじみとしました。
「待つこと」と「時間がかかること」の真逆が「時短」「タイパ」かもと思っています。
悪い言葉ではないけど、むしろそれが助かるけれど、そればかりだと、「待つこと」も「時間がかかること」も苦手になるし、「待つことと時間がかかることで不意に現れる喜び」を感じられないかもしれないと思いました。
そして、わたしはこれって片づけにも同じことが言えそうだなと思っています。
自分の力で頑張っても片づかない人に私たちのような整理収納アドバイザーに力を借りてみてもらえるとうれしいなと思います。
片づけも散らかったり物の多い部屋だと「時間がかかること」だけど、整理して、収納を考えてやっていくことで気づくことがたくさんあります。
わたしは時間がかかることは苦手なくせに整理だけはやっぱりその後のメリットや喜びを知っているから好きでやりたいことになっています。
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